[mi:m]について
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「ミーム(meme)」とは情報伝達における、仮想的な複製遺伝子のこと。
リチャード・ドーキンスは『利己的な遺伝子』で、あらゆる思考や記憶、概念、言語、文化等を複製し伝達していく仮想の主体を想定し、遺伝子という意味の「ジーン(gene)」をもじって「ミーム(meme)」と名づけました。
[mi:m]のスタンス
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「美容師って何だろう?」と、自問しながらお客さまと接して来ました。
そして日々のサロンワークを通して思い至ったことは、ヘアカットという作業は単にファッションだとか身だしなみだとか造形だとかという次元を超越して、「髪」だけでは済まされない深遠な間口が広がっている、ということでした。つまり、「髪」は人にとって「外面」ではなくて、むしろ「内面」と地続きなのだということです。
ではそれを美容師としてどのような仕事に落とし込めば良いのか?目指すべきスタンスは、「ヘアデザインを内的体験としてアプローチして、主観を客観化するセッションを通して多層的に調和のとれたヘアデザインを導く」という説明になるのでしょうか。
[mi:m]がめざすところ
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「美しさ」とは、「スタイル/定形」ではありません。
例えば、近未来SFにあるような「文明が一度崩壊してしまった後の新しい命の勃興」というようなストーリーをイメージしてみてください。
一つの人生に置き換えて言うならば、誰もが多かれ少なかれ、青春期頃までのナイーブな感性を大人になるにつれて失ってしまう経験をするでしょう。そんな、現代人が共有するトラウマを隠したり否定したりするのではなくて、先ずはありのままに受け容れるということを、大切なスタート地点なのだと[mi:m]は考えます。たとえ水が枯れたとしても、新しい命は大地が無くては生まれ得ないということです。そんな「荒れ地に咲く花」が、[mi:m]のロゴにはシンボライズされています。
さらに言うならば、新しく興る命は「再生」ではなくて「勃興」なのです。一つのシークエンスを経て立ち上がる芽吹きは、それまでのパラダイムを越えた、新しい次元の生命であり、新しいストーリーでのたくましい循環なのだと思います。「崩壊」も必然なら、「勃興」も必然なのです。なにしろ、この宇宙の大いなる循環システムは、私たちの想像力をはるかに越えて、すべてを丸ごと循環させているのですから!「美しさ」とは、水のように循環する「命の全体像/システム」なのだと[mi:m]は考えます。
[mi:m]は多様性に満ちた「個の輝き」を提案します。「個」から湧き出づる輝きは「美しさの源流」です。美しいと感じる心の歓びは、波のように人から人へと伝染します。「美しい個」とは、自立していなければなりません。そして、「自立した個」は「自律した全」と相互補完するのです。
つまり、「美しさ」は人やモノゴトについての属性なのではなくて、そもそも私たち自身が「美しさ」の内側で生きている、ということなのではないでしょうか。 (2008/06/04) 「半開き」のサロン
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アトリエミームは「半開き」のサロンです。扉の半分を意図的に隠してまいりました。 その伏せられてきた3つのミーム(意伝子)を、12周年によせて今更ながら下に記します。
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1つめは、「最小限から再構築する」ということです。
人生のなかで大切なものがあるとすれば、それは何か。そして、それはどのくらい必要なのか。何がどれだけあれば自分は幸せなのか。
私たちが生活のなかでついつい「質」より「量」を求めがちになってしまうのは、「幸せ」ということがつかみどころなく、不安だからなのだろうと思います。つまり、私たちは「質の不足」を「量の過剰」で埋め合わせようとしているように見えるのです。
このことを私は、ラジオ番組『soulbeauty.net』『羽のラジカセ』で取材し、模索しながら、プライベートサロンという営業形態として表現し、問い続けてきました。 アトリエミームは「More is More」ではなく、「Less is More」でもなく、「More from Less」をこそ提案したいと考えています。
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2つめは、「デザインを極める」ではなく「デザインする」に向かうということです。
現代のグローバル資本主義の社会では、あらゆるモノやサービスは利便性や効率によって評価されます。この風潮が、デザインから深い思索や豊かな感性を解離させていることは、多くの人が指摘していることです。
たとえば建築やプロダクトデザインの世界では、第一線のデザイナーたちはみな「デザインがデザインとして表象される以前のプロセス」について、深く思想を鍛え、言語化する労を惜しまず、「デザインする」という営為を体現しようと格闘しています。 ところが、美容業界からはこのテーマについて鋭く切り込むオピニオンリーダーが現れない。美容業はココロとカラダに密接だからこそ、生命にモデルを学び、商業的なプロダクツに頼るばかりではない普遍的なデザイン思想が求められている筈なのに、です。
コラムシリーズ『髪棚の三冊』は、この状況に一石を投じようとする思索ノートです。
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3つめは、「サロン性」ということです。
サロンは「場」であって、たんなる「場所」や「スペース」ではありません。 サロンには必ず「場」の中心に立つ者がいて、そこに出入りする人や情報を仲立ちし、そのサロンならではの価値や文化を醸成していきます。
こうした「サロン性」は美容室に限った特性ではありません。 人と情報が行き交う「場」があって、人と人、情報と情報をメディエート(媒介)するエディターシップ(編集思想)が発動されれば、いつどんな場面でもモノゴトの意味や価値や可能性を拡張する土壌となり得るでしょう。
アトリエミームでは常にこうした意識に立ってお客様に接し、ときにはトークイベントやセミナー等を開催したりもしてきました。 さらに2018年からは[ISIS花伝所]の業務委託で、情報メディエーターのエディターシップを養成するお手伝いもしてきました。
以上が、アトリエミーム的「半開き」の活動報告です。 (2020/06/04)
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